現代の社会では「怒らない」育児が主流になっていて、怒らないためのたくさんのメソッドが語られています。
- 子育てする上で怒る必要はない。
- 育児は叱ることと怒ることの違いに認識して使い分けが必要。
- 怒らない育児が子どもの自己肯定感を上げる。
とか、褒めて伸ばすのが大事。
怒らないことがいいことはわかる。
ただ、どうしても怒ってしまう。
分かっているけど怒ってしまう。
coconはそんな数年間を過ごしてしまいました。
長男5歳にして第2子を授かり、二人目の余裕ができたからなのか、怒らない育児のもっと簡単なやり方が分かってきた気がします。
otto、5歳の息子、0歳の娘と暮らす平凡な主婦。
日々の些細なことにも気にしたり凹んだりする豆腐メンタル。
かと思えば、信念を強く持ち、何事にも果敢にチャレンジするが飽き性が玉に瑕。
よく言えば芯がある、悪くいえば頑固。
どうして怒ってしまうのか、
怒らないためにどうすればいいのか。
今、感じていること、実践していることを紹介します。
この記事の目次
「待つ」ことができれば怒らなくなる
待つこと。
怒らないための対策やイラっとした時の感情の持ち方とか、いろいろな方法を調べて実践してきましたが、イラチ(短気な人)なcoconにとってはこれが一番有効でした。
待つとは感情が落ち着くのを待つのではない
怒りの感情が出てきた時に、「10秒待ってみましょう」とか「深呼吸してみましょう」とか、衝動的に怒りの感情を子どもにぶつけないために「待つ」のではありません。
すでに感情が出てきてしまった時、イラチの人にとってその感情を抑えるのすら無理です。
怒りの感情は湧いてこないうちにむしり取っておかなければいけないのです。
そのためにできる「待つ」は、怒りの感情もない、普通のテンションの時から行なう必要があります。
子どもを怒るのは大抵が自分の気分
coconの場合、子どものしつけのために怒っているはずが、実は自分の気分で怒っているに過ぎないことがほとんどです。
特にイラチのcoconはすぐにイラっとしてしまいがち。
それを感情にまかせて生きていたら、どんな小さな息子の行為にもイライラしてしまいます。
そもそも怒らなくてもしつけはできるはずです。
「そんなことでは舐められる!」と言われそうですが、子どもを怒って子どもより強い立場になったって、それは子どもをコントロールしているだけ。
子どもをコントロールしていいことなんて何もない。
そして気分で怒ってしまう最大の欠点は、怒りムラ。
子どもが同じことをしても、ある時はものすごく怒り、ある時は怒らず。
そんなムラが出てしまうと子どもはどうしていいのかわからなくなります。
子どもをコントロールした末路
子どもをコントロールして、なんでも親の言うことを聞くようになった子どもはどのようになるでしょうか。
よく言われるのは、
- 親がいないと自分で何もできない
- 自己肯定感の低下
- 自信がなく不安感が大きい
- 親から離れられない
- 自己主張や自分の気持ちがない
とかでしょうか。
とりあえず、子どもの主体性がないから、子どもの時に秘めている無限の可能性にチャレンジする精神も意欲も湧かない子になりそうです。
怒っていいことは何もない
子どものためと思って怒ったことが子どものためになっているでしょうか。
子どもは怒られた時、感じているのは恐怖心だけです。
だから、何で怒られているのかとか、どうして怒っているのかとか、理解していないそうです。
これを知った時、確かに自分が幼少期に怒られた時のことを思い出しました。
怖い、とか、自分が悪い、とかそんな感情ばかり。
そして、「お母さんに嫌われたくない。」と強く思ったこと。
そう、怒られている「今」のことばかりが頭の中を駆け巡り、何を怒っているかなんて、多分1ミリも考えられていなかったはず。
となれば、怒ること自体になんの意味もないのでは??
怒りの感情を出さないために、いつ、どうやって待つのか
では、普段から「待つ」を実行するためにはどうすればいいのでしょうか。
いろいろ試した結果、coconのやり方はこうでした。
子どもを観察することから
イライラし始めてから「待つ」ことはできません。
それまでにイライラしない精神を作っておかないといけない。
そのためには、イライラする原因である「子どもの行動」を観察することが重要です。
イライラに行き着く前に、それまでの子どもの状況を見守れば、子どもがなぜそうした行動をするのか考える余裕ができます。
私たちママ(?)は、忙しい合間に子どもの一瞬を切り取って見ているから、怒ってしまうのです。
イライラするのは、
- 子どもが自分の言うことを聞かない
- 言うことを理解していない
- いつも言うことをしていない
- 時間がない
- 余裕がない
- 疲れている
そんな感じでしょうか。
子どもの一瞬を見てしまうと、このような感情が湧いてきます。
「さっき言ったのになんで出来ていないの?」
でも、それ以前の子どもをしっかりチェックしていれば、その一瞬にたどり着くまでに考える時間があります。
人は考える余裕さえ持てれば、怒りの感情は半分くらいは抑えられると思うのです。
待つ間に子どもの気持ちを感じとる
子どもの行動をよく観察し、子どもの思いを予想します。
- 注意したけど、まだ遊んでいるな。
- もうすぐ終わりにできるかな。
- 遊びに集中してしまっているな。
その時点ではまだ大きくイライラしていないはず。
余裕がある段階で、なぜ子どもがそうなったのか、その状況で喜べることはないか、ポジティブに考えます。
そして時間が迫ってきたらどうしようか、対処法を考えます。
- 出かける時間になるけど、少しくらい遅れてもいいなら、もう少し様子を見る。
- 絶対遅れられないならまた声かけをする。
一人集中して、頭がフル回転しているんだな。
やりたいことに没頭するのはいいことだ。
良いように考えていけば怒りの感情は出ません。
そうしたらそのうち、子どもの方から「言われていたこと」を思い出してくれることも増えました。
子どもの生きている世界とは
多分、子どもの時間感覚は大人よりとってもゆっくりなんですよね。
大人が「先」を見る性質があるのと同じで、子どもは意図せず「今」を感じ、生きている。
だから、「今」していることに満足しなければ終われないし、満足したら自然に終われる。
(ゲームとかはやや違うかも。でも息子は今のところ自分で終われています。)
大人とは行動も違えば、考え方も違います。
動作のスピードだけでなく、思考のスピードも違うのです。
息子の行動を見守るようになって、「そりゃ、大人の言う通りに行動なんてできないんだろうな」と感じるようになりました。
怒ることにいいことはない
親も親である前に一人の人間なのだから、怒りの感情もあるし怒ってしまうことがあるのはごく自然なこと。
むしろ、怒らない「人として」できた人の方が少ないと思う。
それでもやはり育児というのは怒らないに越したことはないと思うのです。
怒っても子どもは変わらない
子ども、というか誰でもだけど、怒ったって変わることはないのだ。
怒られて感じる感情は、怖いとか、いやだとか、マイナスの感情だけ。
そして後に残るのは、親への反抗心だったり不安感・不信感。
それの繰り返しばかりだと、親に対して信頼も尊敬もしない子になるだろうとわかる。
怒ったって変わらないなら、怒らないほうがいいのは確か。
褒めること前提で子どもに接する
子どもの行動を待つと言うのは、その間に子どもを観察できること。
観察する間の気持ちはもちろん、子どもの粗探しをするのではなく子どもの「いいこと探し」をするのだ。
イライラが出てくる前の余裕のある時から褒められるポイント探しをしていれば、怒りの感情までの距離をどんどん遠ざけられる。
褒めポイントがたまっていないからいきなり怒りのスイッチが入ってしまうのだ。
褒めポイントがたまっていれば、マイナスポイントを見てしまってもいきなり怒りにつながることはない。
つまり、褒めポイントを貯めるために待つのだ。
褒める前提で子どもを見れば、いいところがたくさん見えてきます。
いいところをたくさん褒めてあげれば、子どもの気持ちもこちらに寄り添ってくれる。
その時は親の期待した行動に現れるという即効性がなくても、この時の感情の違いで親への気持ちは変わるだろうし、積み重ねで親への信頼が強くなる。
怒っていいことなど、何一つないのだと感じる。
「待つ」を意識し始めてから
まだまだ怒ってしまうこともあるし、待てないこともある。
でも、徐々にcoconに流れる時間もゆっくりになった気がします。
早く!早く!と思っていたことが、「なぜ急いでいるんだろう」と思えるようになることが多くなった。
もちろん時間がないから急かしているんだけど、それって本当に急がないといけないことなのか。
この時間と決めたのは自分だけじゃないだろうか。
なんでできないの?とイライラしていたけど、できると決めたのは誰?
それは本当にできることなのか、自分がして欲しいだけのことなんじゃないのか。
自分が思っている「常識」を考え直せるようになってきてような気がします。
それは「待つ」間に考えられるから。
「この子はそうやってしているのか、だから時間がかかるんだね。」
「これは苦手なのかな、いつも取り掛かりが遅いな」
そう言うのを感じながら息子を見ていると、言ったことができないプロセスがわかる。
どうして出来ないのかが分かれば怒りの感情は出づらくなる。
褒めるのも大事だけど、まずは怒らないこと。
怒らない視点で見れば、褒めることも増える。